声優養成所体験談では私がプロの声優になるまでに「学んだこと」「体験したこと」を記事にしています。
全く才能がなかった私が、どうやってプロの声優になったのか。
声優を目指すきっかけから、声優事務所に所属して現場に行くまで、すべての過程を時系列で公開します。
声優を目指したいけど、向いているかわからない、自信が持てないと悩んでいる方はぜひ読んでみてください。
声優を目指したきっかけ
![](http://yu-goblog.com/wp-content/uploads/2023/06/24_002-1024x576.jpg)
まず、初めにお伝えしておきたいのが、私は幼いころから声優を目指していたわけではありません。
もちろんアニメは好きで見ていましたが、声優に詳しいわけではありませんでした。
演技も養成所に入るまでは全くやったことがありませんでした。
そんな私がなぜ声優養成所に入ることになったのか。
まずはそこからお話していきたいと思います。
急な話になりますが、私は高校を中退しています。
その後、学歴の重要さを痛感したので、高卒認定を取得し短大を卒業しましたが、
10代の頃の私は、学歴など必要ないと思っていてバイトをしながら、のんびりと遊びながら過ごしてました。
16歳の夏の終わりだったと思います。
友達と草野球をしていて、私はキャッチャーをやっていました。
ピッチャーが球を投げ、バッターがバットを振り、そのバットが球にかすりました。
バットにかすった球は前に飛ばず、キャッチャーをしていた私の左目に直撃しました。
もうお分かりですね。
ファールチップが左目に直撃したんです。
今思い返しても、あれはかなり痛かったです。
草野球をするときは必ずキャッチャーマスクを被りましょう(汗)
友達に心配をかけたくないとの思いもあり、
平気なふりをして家に帰りました。
そして、問題は次の日に起きました・・・。
翌朝目が覚めると、左目の視界が真っ白で何も見えません。
私は直感的に左目が失明すると思いました。
その時の感情は不思議と無に近いものでした。
多分、諦めという感情に近かったのではないかと思います。
とりあえず親に言わないとと思い、
「左目の視界が真っ白で何も見えない」と親に伝えたところ
そのまま病院に連れていかれました。
病院での検査の結果、眼窩底(がんかてい)骨折と言われました。
単純に言うと、目の周りの骨(私の場合は目の下の骨)が折れたということでした。
確か失明の可能性や、手術をする可能性の話もあったと思いますが、
詳細はあまり覚えてません。
手術は怖かったので、断りましたし・・・。
話が脱線してしまうので、怪我の話はここまでにしますが、
とにかく、目を動かして生活してはダメだと言われました。
右目を動かすと、左目も動いてしまうので、
暗い部屋で布団に寝たまま、目を閉じて生活をすることになりました。
その生活を助けてくれたのが「ラジオ」でした。
それまで、あまりラジオを聞いたことがなかったのですが、
ラジオから聞こえてくる音には本当に助けられました。
中でも、関智一さんと長沢美樹さんのラジオビックバンが大好きでした。
ラジオビックバンは笑いに溢れ、みんなが本当に楽しそうで、いつも勇気づけられていました。
そして毎週ラジオビックバンを聴いているうちに、
「ラジオビックバンのこの輪の中に入りたい!」と思うようになりました。
声優さんがやっているラジオに勇気づけられ、自分もその輪の中に入りたいと思うようになった。
単純ですが、これが私が声優を目指したきっかけです!
さて今回の記事はここまでです。
ここから私は通う声優養成所を選ぶのですが、そこについてはまた次の記事に書いていきます。
![](https://yu-goblog.com/wp-content/uploads/2023/07/1418_001-300x169.jpg)